トルコ・イスタンブールからお届けする、ベリーダンスな毎日のあれこれ。

ベリー☆ベリー☆イスタンブール 

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続・ベリーダンスとイスラム教

以前、こんな記事(ベリーダンスとイスラム教)を書きました。

そして数日前、とある話題からまさに話の続きとなりまして、へぇえ、と思ったので書き記しておきたいと思います。先にお断りしておきますが、私は特定の宗教を信仰していませんし、イスラム教について深い知識があるわけでもありませんので、一個人の聞いたまま、、、と思って読んでくださいね。

それは私が「ええ~あたしはイスラム教徒にならない(なれない)よ、だってベリーダンスして肌見せるもん」
という発言をしたのがきっかけです。

Simのおっちゃんに、「それとこれとは別物だ、俺だって敬虔なイスラム教徒だけどベリーダンスの衣装作ってるし」と言われました。

だからそれがフシギなんだってば

ちゃんとイスラム教を知らない私は、???です。
だって、イスラム教って、肌を見せたらダメだからみんなスカーフやら黒いのやら被っているんでしょ?


そうしたら、「トルコのイスラム教は、エジプトや湾岸のイスラム教とは違うんだ!!!」と言われ、ますます???です。 例えば、キリスト教(私はカトリックしか知らないけど)は、どこの国に行っても基本的に教義は一緒、、、だったと記憶していますから。

そうしたら、Simの縫い子のおねえさん達が説明してくれました。
「トルコにおけるイスラム教は、なんていうか革新的なの。 例えば、人を殺さない、盗みをしない、そういう重い内容はもちろんしてはいけないけれど、もっと日常生活上の、お酒を飲まない、煙草を吸わない、肌を見せない、、、そういうことは、自分で選択して、自分で決められる。 トルコのベリーダンサーだって、イスラム教徒だし」

、、、自分で決められるってどういうこと?

「それは、自分とアッラーとの間の契約なの」


私はてっきり、煙草を吸ったりお酒を飲んだりするのは、堕落している、、、ということなのかと勝手に思っていたのですが、それは「個人の選択の結果」であり、他人が批判することではない、なぜならそれは個人とアラーの契約だから(そしてその結果地獄へ行くのも個人の選択、という考え方らしい、、、)

分かったような、分からないような。
宗教に、個人の選択性というものがあるというのが、とても不思議に感じました。
そして、選択的な契約といいながらも、個人の中で葛藤があるような気もするんだけど。。。

それでも、ほんの少しだけ、トルコのイスラム教を垣間見ることができたような気がした午後でした。
イスラム教関連の本でも読んでみるかな。。。




テーマ : ベリーダンス    ジャンル : 学問・文化・芸術
  1. ひとりごと
  2. / trackback:0
  3. / comment:6

難しいですよね

  1. 2011/11/23(水) 09:48:37 |
  2. URL |
  3. ライラ
  4. [ 編集 ]
トルコは、政教分離してるし、そういう点でも
革新的と言うのかもね。

湾岸アラブだと、宗教=法律なので、
いくら個人の選択だと言っても、
ダメなものはダメだけど。

一言じゃ説明が難しいんですが、
トルコでは、まだ選択肢があるということですね。
だから、とっても敬虔な人から、そうじゃない人までいるわけですよね。

それと、アッラーとその個人の契約だから、
教義はどこの国でも一緒だけど、個人差があって、
それが法律であるかどうかによっても、国や地域差があって、
要は、自分の始末は自分でしろ、ってことかな。

イスラム教は、合理的な宗教なので、
そういう考え方になるんですが、
なかなか難しいですよね。

ただ、昔から、血の繋がりを大事にするしていたので、
親戚、隣近所からの評判が悪いと嫁に行けないし、
娘がふしだらだとお父さんに殺されたりとか、
そういうメンツを大事にする人達が多いので、
人の目を気にしなくちゃいけないんですよね。

アラブの古い家(今でもそういう建築)は、透かし窓みたいになってて、そこからいつも誰かしらが外を見てるんですよ。
外から中は見えないの。
そうしていっつも見てて、すぐに悪いウワサは広まるので、
そうならないように気をつけるんですよね。





Re: 難しいですよね

  1. 2011/11/23(水) 10:18:25 |
  2. URL |
  3. ライラさんへ♪
  4. [ 編集 ]
そうですよね~、アラブ諸国は宗教国として、教義=法律ですものね。
トルコはそうではないので、自己の選択というか意思ということになる。
それって、誘惑がある環境で強い意志が求められますよね、、、、

トルコも田舎に行けばさらに厳しい周囲の目の監視にさらされるんでしょうね。

それにしても、トルコ人の周囲を気にしない、気を配らない、、、はどうにかならんかと思う。
こないだ、傘をブンブン振り回しているおばちゃんに刺されそうになりましたゎ。

No title

  1. 2011/11/24(木) 12:35:51 |
  2. URL |
  3. サラ
  4. [ 編集 ]
うーん、難しいですね。

宗教の解釈は、人それぞれ違っても、それをお互い認める状態になっているのが望ましいと思うけど…

フランスで生まれたアラブ系の人の場合、それ以上に、もっと複雑な気がします。
親の世代は、フランスに同化しようという動きが強く、宗教性のあることは表に出さない人が多かったのが、今の世代では、逆に反動化して、ラマダンやスカーフ着用なども含め、親以上にイスラム法を守る人も多くなっているようです。
私が見る限り、明らかに、数年前よりも、ヒゲの長い若者?がおおくなりました。

私の先生は、父親が地元のモスクの行事にかかわってるような、敬虔なムスリムの家の出身だそうですが、親は彼女がベリーダンスで生計を立てていることを、認めているそうです。
また、「イスラム教の人の前では、ベリーダンスは踊れないから」ということで、自分の結婚式にもダンサーは呼ばなかったと、私には説明してくれましたが、自分は実践しないけど、実践している人のチョイスは尊重する、ということなのかな、と思いました。

自分が育った郊外のアラブ人が多い地区では、ベリーダンス=売春という偏見があり、タブーだったそうですが、とはいえ、親しい家族や友達からは、ベリーダンサーであることで、ネガティブなフィードバックはない、と言っています。
そのあたりの彼女の認識が、分かるようで、たまに良く分からなかったりします。

No title

  1. 2011/11/25(金) 03:55:22 |
  2. URL |
  3. bonbon
  4. [ 編集 ]
私の夫は欧州人で赤ん坊のときに洗礼されたカトリック教徒ですが、カトリックの総本山バチカンの薦めるままの生き方というわけではありません。他のカトリック教徒でも、より現実的、実際的、実用的な生活をしている人たちがほとんどですが、だからと言ってそれが堕落か、不真面目な信者かとなると、そうではありませんよね。現代では、みんなそれなりに、その人の立場で、自分と社会に誠実であろうとしているんだと思います。

私の通うスタジオにも、ときどきイスラム教徒の女性が来ます。いつだったか彼女に聞いたところ、自分がどう思うかもあるけれど、家の方針が大きいとも言っていました。(小さい頃からそうやって育っていたら、それが当たり前になるから、と。)彼女は、「自分がそうしたくないから。(uncomfortableだから)」ということで、レッスン中も長袖Tシャツで、肌は見せません。
イスラム教のように、現代でも宗教がライフスタイルだったり、法律だったりすると第三者にはなかなか理解が難しいですが、結局はみんなが自分の良心の範囲内で、現代の事情に合わせて臨機応変に生活しているということではないでしょうか。特にトルコは、それが許される場所なんですね。

Re: No title

  1. 2011/11/25(金) 21:39:13 |
  2. URL |
  3. サラさんへ♪
  4. [ 編集 ]
う~ん、フランスのように、確立した西欧文化のあるところに、アラブ文化が「後から入って行った」国では、それはそれでまた状況が大きく違うでしょうね。。。

そうなの~、まさに、「分かるようで、たまに良く分からなくなったり」しますよね~。
外から見てもそうなのだから、本人の中ではさらなる葛藤が渦巻いているのかしら。。。

Re: No title

  1. 2011/11/25(金) 21:48:50 |
  2. URL |
  3. bonbonさんへ♪
  4. [ 編集 ]
貴重なご意見ありがとうございます。

私は、いわゆるミッションスクールで教義を「勉強させられた」ので、お相手はシスター達、、、究極のサンプルなので、確かに「カトリックの実生活での対応」は知らないのです。

bonbonさんのご意見を読んでいてふと思ったのですが、宗教における堕落と、社会的な堕落って、どこで線を引くんでしょうね、、、例えば、日本人は特定の宗教を信仰していないという、宗教者からすれば「とんでもなく堕落した」存在かもしれませんが、実際に「人としての則」という意味では、一定レベル以上だと思うんですよね、、、

個人的には、bonbonさんのおっしゃるように、「自分の良心の範囲内で、現代の事情に合わせて臨機応変に」、平和な社会が最大幸福だと思うんだけれど、それを良しとしない極端な流派もあるわけで、、、

外国に住んでいると、「宗教」ということについて多く考えさせられるように思います。


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プロフィール

Yoko

Author:Yoko
Yoko of Istanbulだったり、
クラリチェ洋子だったりもします。
踊ったり、書いたり、たくらんだり、毎日意外と忙しい。

【著書】

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